N.Y.ジャズ見聞録
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"The Big Apple - Jazz to the Core" Part 3 |
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トリビュート・トゥ・ジョージ・ラッセル ニュー・イングランド・コンサーヴァトリー・ジャズ・オーケストラ |
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IAJEでの学生グループのコンサートは、各学校のデモンストレーションの要素があり、より多くの観客を集めるためにも、有名なミュージシャンをゲスト・ソリストに迎えることがある。ボストンでバークリー音大と並ぶ、名門音楽大学のニューイングランド・コンサーヴァトリーのビッグバンドのステージでは、同校の看板教授で伝説的な理論家、ジョージ・ラッセルの80年代の代表作「アフリカン・ゲーム」の全曲を演奏、ラッセル自身もステージに登場し、最新作「イッツ・アバウト・タイム」の一部を自ら指揮を執り、教え子達と共演した。久し振りにNYでラッセルの健在をアピールした、このレア・パフォーマンスと、彼の長いキャリアに焦点を当てたい。 |
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ジョージ・ラッセルは、1923年にオハイオ州シンシナティで生まれた。ボーイスカウトでドラム演奏に目覚め、コールマン・ホーキンス(ts)、ベン・ウェブスター(ts)、フランク・フォスター(ts)ら多くのジャズ・ミュージシャンを輩出しているウィルバーフォース大に進学、在学中にOBのべニー・カーター(as,tp)のグループに起用され1944年にNYに進出した。しかし、ジャズ・ミュージックの革命、ビバップのドラミング・スタイルを確立しつつあった若き日のマックス・ローチ(ds)に圧倒されて、ドラマーとしてのキャリアを断念、ソング・ライティングとアレンジメントに、創作活動をシフトさせる。この頃の、新しいジャズを志向する若い世代のミュージシャン達の中心には、ギル・エヴァンス(kb,arr)がおり彼のアパートには、マイルス・デイヴィス(tp)、ジェリー・マリガン(bs)、マックス・ローチ、そしてビバップの偉大なるイノヴェーター、チャーリー・パーカー(as)も時折、訪れていた。ジョージ・ラッセルもこのサロンのメンバーに加わり、ポスト・ビバップの音楽を創造していく。1947年には、カーネギー・ホールでのディジー・ガレスビー(tp)・オーケストラのプレミア公演に、最初のラテン・リズムとジャズの融合である、"Cubano Be / Cubano Bop"で、作・編曲を担当し、一躍注目を浴びた。 |
「あらゆるコード・チェンジを極めたい。」マイルス・デイヴィスの野望に啓発されて、1953年にジョージ・ラッセルが発表したのが、「リディアン・クロマティック・コンセプト・オブ・トーナル・オーガニゼーション」である。コード・チェンジが複雑化し、アドリブの定型化という袋小路に陥る危機に瀕していたビバップを打開し、スケールを想定することによって、より自由なインプロヴィゼーション表現を可能とするこの理論は、ジャズ・ミュージックにコペルニクス的転回をもたらすことになる。マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン(ts.ss)、ビル・エヴァンス(p)らは、リディアン・クロマティック・コンセプトに基づき、複雑なコード・チェンジに束縛されないモード奏法を編み出した。1959年に、彼らはジャズ史上に燦然と輝く名盤「カインド・オブ・ブルー」を完成し、その革新性が世に知られるところとなる。1960年代フリー・ジャズに突入する以前の、ジョン・コルトレーンの過激な挑戦も、この理論がバックボーンとなっている。60年代に勃興した、グレイトフル・デッドらに代表されるニュー・ロック・ミュージックや、その系譜を現在にひくジャム・バンドといわれるクラブ・ミュージックのムーヴメントも、リディアン・クロマティック・コンセプト抜きでは語れない。現代音楽のフィールドでも、シェーンベルグ、ストラヴィンスキーの12音技法や、バルトークの民族音階は、このラッセルの理論によって明確に分析することが可能となり、武満徹らにも大きな影響を及ぼした。
前日のNEA (National Endowment for the Arts 国立芸術基金)のジャズ・マスターズ賞の授与式にも、ラッセルは1990年度受賞者として出席し、元気な姿を見せてくれた。スタンディング・オベーションが湧き上がり、ジョージ・ラッセルがステージに登場した。オーケストラに対峙すると、緊張感をはらむ静寂が訪れる。その腕が振られ、ピアノのイントロ、ミュート・トランペット、ギターのメロディと、アンサンブルが複雑に絡み合い、大きくうねる8ビートのバラード・テーマへと展開する。96年にフランスのラベル・ブルーからリリースされた「イッツ・アバウト・タイム」の第二楽章だ。インプロヴィゼーションと、テーマの境界が曖昧に進む。ラッセルの体の動きが大きくなり、オーケストラのヴォルテージも、上昇する。ラッセル・マジックで、バンドのポテンシャルが最大限に引き上げられた。ダンスのようなコンダクトによって、トランペットのハイ・ノート、サックスのフラジオ音、ギターのディストーション・サウンドが、大きなグルーヴのアンサンブル・リフの上で交錯し、スリリングなサウンド・ステージが構築される。最高潮に達したところで、エンディングを迎えた。再び、スタンディング・オベーションの拍手が鳴りやまない。アンコールが始まった。リディアン・クロマティック・コンセプトを発展させたモード奏法を確立した、マイルス・デイヴィスの「ソー・ホワット」だ。驚いたことに、名盤「カインド・オブ・ブルー」の同曲のマイルスのソロをトランスクライヴして、オーケストレーションを施している。ステージからはセクションごとに退場し、最後にラッセルが、興奮が醒めない客席に別れを告げて下りていった。発表から50年以上の時を経ても、ジョージ・ラッセルが提唱したリディアン・クロマティック・コンセプトを、凌駕する理論は未だ登場していない。2001年には、改訂第4版が出版された。アカデミズムにおける研究と、リヴィング・タイム・オーケストラによる実践、ジョージ・ラッセルのあくなき探求は続く。 (1/24/2004 於Trianon Ballroom, Hilton Hotel, NYC)
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